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調略に走る


秀吉は勝家との全面対決を前に、勝家方に組する諸将の調略活動に力を注ぐことにした。

しかし、清洲会議での三法師擁立の失敗により、織田家内の勢力は勝家方に大きく傾いていた。
秀吉は現在中国6ヶ国を統治しているとはいえ、中国攻めで集まった家臣団は状況の悪化次第でいつ秀吉を裏切るか分からない。

一方の勝家は、信長死後の織田家は信孝が正統者であることを各国に伝え、毛利家に対しては同盟の強化を約束し、反乱を試みる秀吉の背後を突くよう依頼した。

これにより秀吉は、一度は自らの力により和睦に持ち込んだ毛利家と、畿内の勝家主導の織田家の挟撃に遭うこととなった。
巨大な敵を同時に二つ持った秀吉にとっては勝ち目はなかった。

たちまち中国領6ヶ国にて秀吉従属家臣団の離反が始まった。
秀吉は勝家との直接対決を前に内部崩壊により滅亡に追い込まれた。
秀吉の最期は、勝家方に内通した自らの部下たちによる襲撃であった。

天下を目前としていた秀吉であったが、その生涯は46歳で幕を閉じた。

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