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母を人質に出す


秀吉は、家康を引き出すためには、天下人という自身の地位や名誉を捨ててしまわねばならないと考え、ついに周囲の反対を押し切って実母である大政所(なか)を家康の下へ人質に出すことに決めた。

1586年10月13日、秀吉は実母の大政所を家康へ人質として送った。
秀吉は家康に対し、表向きは「九州征伐について相談したい」と上洛要請をし、それとは別に「わが老母の大政所は娘の朝日姫に会いたがっているので、よろしくお取り計らいを願う」と申し送った。
さすがの家康も、岡崎城に着いた秀吉の実母を見て、これが潮時かと思い、上洛の意志を固めた。



10月20日、ついに家康は1万の軍勢を率い上洛のために岡崎を発った。

家康一軍は10月26日夕刻に大坂城に到着した。
秀吉は、家康に対し城内最大の屋敷である弟の秀長邸を宿舎として使わせた。
しかし、家康は警戒心が強く、宿舎の周りには篝火を炊かせて、連れてきた1万の軍勢に警護を強化するよう命じていた。

さて、秀吉は大坂城に入った家康をどうする?

明朝の登城までゆっくり休みを与える
夜中に単独で家康の宿舎に顔を出す
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