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懐柔工作


その頃、東海の徳川家康は関東の北条家と同盟を結び、秀吉からの攻撃に備えていたが、秀吉は、この家康を服従させるこそが天下取りの最後の大事業と考えていた。

秀吉は、家康が死力を尽くす時の恐ろしさを知っていた。
それは、かつて武田信玄の大軍が上洛した時のことであり、到底敵わぬ相手にも家康は戦を仕掛け、結局は敗戦を喫したが、決して屈服しない三河兵の底力は侮れず、仮に秀吉が大軍で攻め入ったとしても、死力を尽くし徹底抗戦をしてくるだろう。

秀吉は、家康の服従には懐柔工作しかないと考え、秀吉自身の異父妹である朝日姫を家康に嫁がせようと考えた。
表面上は、家康との婚姻であるが、事実上は秀吉から家康に人質を送ることを意味した。
1586年5月14日、家康と秀吉の妹・朝日姫との婚儀は成立する。
この時、家康は45歳、朝日姫43歳であり、家康は彼女を妻とは見ず人質として丁重に引き受けた。
しかし、婚儀成立後も家康は秀吉の上洛を黙殺し続けたのであった。

さて、朝日姫を使っても家康の懐柔に失敗した秀吉はどう手を打つか?
大軍を動員して家康と戦う
実母を家康に人質として送る
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