FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

天正十三年


時は天正十三年(1585年)に入り、秀吉は49歳になった。
昨年末に織田信雄、そして徳川家康と休戦講和を結んだ秀吉は、直ちに紀伊の雑賀衆と根来衆を鎮圧を命じた。

4月に紀伊平定に成功した秀吉は、6月には弟の羽柴秀長を総大将として四国の長宗我部元親討伐の号令を発した。

一方、以前より抵抗を続けていた越中の佐々成政討伐のため、秀吉は自ら10万の大軍を率い北陸に進軍したが、恐れをなした成政は、秀吉に完全降伏をする。

このような中、九州豊後(大分県)の大名・大友宗麟の使者が秀吉の下にやって来た。

<大友宗麟>


現在、九州では薩摩(鹿児島県)の島津家の勢力は著しく、一時期は九州6ヶ国を支配下にしていた大友家も衰退に向いつつあり、御家の存続のために秀吉の力を頼って来たのであった。

さて、秀吉は大友家の救援にどう応えるか?

救援を約束する
救援を断る
スポンサーサイト