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大坂へ撤退する


家康にとっては、局地戦で秀吉に勝利したことで充分であり、深追いせずに直ちに小牧山城に戻り秀吉軍の襲撃に備えると、一気に信雄の居城・清洲城まで軍勢を引き下げた。

秀吉は、しばらく小牧において家康・信雄軍と対峙する姿勢を見せたが、一戦場での長期滞在は今だ軟弱な秀吉政権にとって危険を伴うため、尾張戦線を滝川一益に任せると5月1日、秀吉は撤退し大坂に帰還した。

大坂に戻った秀吉は、家康・信雄をまとめて屈服させることは困難であると悟り、家康とは戦わず、攻撃の対象を家康の同盟者である織田信雄に絞り、信雄の領地を削ることにより、家康・信雄同盟の勢力を弱めることとした。
早速秀吉は、信雄領である尾張の諸城を落城させると、続いて伊勢・伊賀方面の攻略を命じた。

一方、9月に入ると、家康に呼応していた越中の佐々成政が大軍を率い、秀吉領である能登の末森城を攻撃し、落城寸前との報が届く。

さて、秀吉は佐々成政軍に対しどう手を打つか?

能登・加賀の国主である前田利家に撃退を託す
北陸遠征軍を編成するために大軍の集結をさせる
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