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秀吉包囲網


家康の戦略は、かつて足利義昭がとった信長包囲網と似ていた。
秀吉は、四国の長宗我部元親に備えるために淡路島と大阪湾に兵力と水軍を配備させ、紀伊の雑賀・根来衆に備えても大坂に多数の軍勢を残した。

<長宗我部元親>


越中の佐々成政には加賀の前田利家と越後の上杉景勝に睨みを利かせた。
一方、家康は3月7日に浜松城を8千の軍勢を率い進軍し、13日には尾張清洲城にて織田信雄軍と合流を果たし、「徳川は織田家をお助けする」と大義名分を天下に訴えた。

その間、美濃大垣城を守る池田恒興は、秀吉方に味方の意表を示すと、一気に尾張へ攻め込み、織田領である犬山城を落とした。
家康はこれに対抗するため小牧山城に軍勢を進めたが、秀吉方の森長可軍は家康軍に攻撃開始した。
しかし、森長可軍は家康軍の奇襲攻撃により撃破された。

3月18日、家康軍は小牧山城を占拠し、周囲に砦や土塁を築かせ秀吉に備えた。
秀吉は3万の軍勢を率い3月21日大坂城を出発し、3月27日に犬山城に到着した。

さて、小牧山城の家康軍に対してどう作戦を立てるか?

3万の軍勢にて小牧山城へ攻撃を仕掛ける
土塁や柵を築き持久戦に備える
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