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詰問する


信雄は、秀吉の常々の言葉や態度から「織田家の後継者は自分であり、天下も秀吉がくれるはずだ」と信じ込んでいたが、次第に近習から入れ知恵を受け、乱世の道理というものを知ることとなる。

手にした100万石という巨大な石高と、信長の遺児という立場から「反・秀吉」と掲げて挙兵すれば、織田系の諸大名は次々と味方に付くだろうと考えた信雄は、自ら東海の徳川家康の下に訪れ、援軍の依頼をしていた。
そして秀吉への宣戦布告として信雄は、秀吉と親交深い自身の三人の家老を殺害したのであった。

これに対し秀吉は即刻、信雄に使者を送り、「これは反旗の意志があるということか」と厳しく詰問し、信雄攻撃の正当な口実を得た。

しかし、打倒秀吉として信雄を全面支持する家康は、これを機に大軍を率い遠江浜松城を発した。
家康は、秀吉包囲網を取るように、四国の長宗我部家、紀伊の根来寺衆、そして秀吉に降った越中の佐々成政に時を同じくして秀吉を攻撃するように使者を送った。

「威信」+10

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