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信孝処刑


天下を取る秀吉にとっては、織田信孝はどうしても殺さねばいけない存在であった。
信孝には優秀でないにしろ知恵があり、その存在は三法師よりも秀吉にとって危険であった。

当然ながら織田旧臣からは「殺さずとも良い」との声が強かった。
秀吉は「三法師ぎみの天下のため」と旧臣たちに正義の根拠を説いた。
もちろん、秀吉に服従する織田旧臣はこの正義は真意でないことは誰もが判っているが、この「偽りの正義」こそ旧織田系の諸将の服従のため、そして天下取りの大事業には不可欠な政策であった。

秀吉は、織田信雄に弟である織田信孝を京へ送らせるよう命じた。
信雄は天下に名の知れた愚将であり、秀吉は信雄を上手くそそのかした。
弟の信孝を処刑することによって、兄である信雄こそが織田家の相続者になりうるかという幻想を抱かせたのである。
5月2日、信孝は京の六条河原に送られ、反逆の臣として切腹させられた。
信孝わずか享年26歳であった。
しかし、信孝処刑により秀吉は「主家の遺児殺し」という汚名を被り、天下の信義に汚点を残すことになった。

「威信」-30

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