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北ノ庄炎上


秀吉軍は勝家が籠もる北ノ庄城を包囲すると、攻撃を開始した。

勝家は賤ヶ岳から敗走後、北ノ庄にて全軍の動員を求めたが離反するものが多く、3千人程しか集まらなかった。
しかし、勝家とその兵士は籠城にて秀吉軍からの攻撃をよく防ぎ、激戦を続けた。

北ノ庄城内には信長の妹であり、勝家の後妻となったお市の方が居り、秀吉は再三救出のために使者を送り込んだが、お市は勝家と落城とともに自害する覚悟であった。
翌4月24日、秀吉は全軍に総攻撃を命じた。
勝家は、お市の子である茶々ら三人の娘は城から逃がすと、天守閣に退き、城兵と共に最後の酒宴を催した。



そして最期の時を迎えた勝家は、お市と共に自害すると、用意した火薬に点火させ天守閣もろとも遺骸を爆発させた。

勝家享年62歳。
織田家筆頭宿老であり、織田家における秀吉の最大の敵であった柴田勝家のその最期は壮絶なものであった。
炎上する城を前に、秀吉の側近の一人が「勝家は自刃を擬装し身一つで落ち延びたのでは」と捜索の必要性を訴えたが、秀吉は「勝家がそのような男であれば、信長公はあのように寵用なさらぬ」と言うと、翌25日には加賀平定のために全軍を発した。
一方、越中一国は勝家の与力である佐々成政が守っていた。

さて、秀吉は越中の佐々成政をどうするか?

加賀平定後に越中へ攻め込む
佐々成政に降伏を勧める
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