FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

対峙する


秀吉は、全軍に対し待機命令を発すると、掘秀政に敵陣の偵察を命じた。

偵察情報により、勝家は隘路の山岳を十分に利用し、万全の構えをしており、山陰の至る所には鉄砲隊の陣が張られ、狭い谷間を攻め入る秀吉軍を格好の標的としてじっと待っていた。
さらに山岳のあちこちに砦や土塁を築かせており、砦と砦を結ぶ道までが作らせていた。
勝家は一気に戦って勝敗を決するつもりはなく、どの砦が攻撃されても直ぐに他の砦から応援に駆けつけられる「永陣の構え」をしている事が明らかとなった。

秀吉は様々な手を使って勝家軍を誘き出そうと挑発したが、勝家軍はその手には乗らなかった。
完璧な布陣と挑発に乗らない勝家に対し、「さすが、勝家」と秀吉は褒め称えた。
高度な力量を持つ両将が対峙戦をする場合、先に手を出した方が崩壊する。
その後も両軍は攻撃に撃って出ることはせず、しばらくは陣地や砦を盛んに構築し戦線は膠着した。

そのような中の4月16日、美濃の織田信孝が滝川一益と結んで再び挙兵して岐阜城から度々出撃し、秀吉方の包囲網を破ると大垣城下へ進撃を始めた。

さて、秀吉は美濃の信孝挙兵にどう対応するか?

自ら軍勢を率いて美濃制圧をする
弟・羽柴秀長に美濃制圧を命じる
スポンサーサイト