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勝家動く


北陸の柴田勝家は、秀吉の伊勢攻略により滝川一益が窮地に陥っている報を耳にし、春まで耐え切れず、越前北ノ庄城より雪をかき分け一列縦隊にて近江に向けて進軍の命令を出した。

秀吉は、予想以上に早い勝家の南下に驚きを感じたが、勝家の行動に感嘆した。

秀吉は急ぎ軍勢を三方面に分けて動かせた。
第一方面は、伊勢の滝川一益の息の根を止めるための攻撃軍勢。
第二方面は、美濃の織田信孝の岐阜城を包囲し、信孝が城から出れぬようにする軍勢。
そして第三方面は、琵琶湖北の山岳地帯であり、勝家軍を近江平野に出さぬよう抑える軍勢であった。

秀吉は、すぐに伊勢を発ち、湖北へ向かい、賤ヶ岳付近の山岳地帯に陣地を増設させ、兵士を増員させると、美濃大垣城に入った。
この美濃大垣城は、賤ヶ岳、岐阜城、伊勢の三方面の中間地点であり、いずれに事変が起きても移動がしやすいため、ここを拠点とした。
そして、秀吉はこの3人の敵をこの機に同時に切り倒そうと考えていた。

3月12日、勝家は佐久間盛政を先頭に前田利家ら3万の軍勢を率いて北近江の柳ヶ瀬に到着し、布陣を完了させた。
秀吉も直ちに兵を出し、3月19日には5万の軍勢を率いて柳ヶ瀬方面に進出し木之本に布陣した。



しかし、勝家は織田家髄一の「歴戦の兵」であり、山岳要所に砦を築き、全軍に持久戦の形を取っていた。

さて、秀吉は対峙した勝家軍とどのように戦うか?

兵力の差をもって一気に攻め立てる
待機命令を出し、勝家軍を挑発する

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