FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

服従


秀吉は三法師擁立の失敗により、天下の情勢は勝家に大きく傾いた、と読んだ。

秀吉は現在中国6ヶ国を統治しているとはいえ、中国攻めで集まった家臣団は情勢の悪化次第でいつ裏切っていくか分からない。
勝家と敵対関係になると北陸、中部、畿内を抑えた織田家と背後の毛利家の挟み撃ちになる。
今、生き残るためには勝家に服従の態度を示し、隙をうかがうしかないと考えた。

秀吉は、勝家に服従の意を誓った。

しかし、勝家は秀吉の力量を充分に知っており、反旗を返せば恐ろしい存在となるため、所領である中国6ヶ国の5ヶ国をさらに召し上げ、播磨一国のみとさせると、備前の宇喜多秀家とともに毛利攻めに当たらせた。

一方その頃、信長の死に乗じて、東海の徳川家康は、北条家と手を組み、新生織田家に対抗する形で甲斐、信濃を攻め落としていた。
勝家主導の新生織田家は、東海を拠点とし甲斐、信濃まで侵出してきた徳川家康との睨み合いになった。

しかし、織田家新当主である信孝は凡将であり、家臣を采配する指導力にも欠けており、勝家が病に伏せると織田家はたちまち内部崩壊とともに衰退の道を辿った。

一方、この物語の主人公である秀吉は、勝家生前においてはその監視は厳しく、所領はわずか播磨36万石のみので、毛利軍と戦を繰り返していたが、1589年に肺炎を患い、陣中に没することになる。

享年52歳であった。
スポンサーサイト