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長秀と勝家


腹痛の仮病を使って、評定を退出した秀吉は別室で横になり、事の決定をじっと待つことにした。

ここまでは、全て秀吉の筋書き通りで進んでいた。
勝家の威圧に一座は沈黙し、これに対抗できるのは自分だけであり、冷静に理詰めをすれば、いずれ短気な勝家は地が出る。
そこで大方は勝負は決するが、これでは後に「秀吉の独断で跡目が決められた」と裏口を叩く者も出てくるであろう。
肝心は、衆議によって決めなければならない・・・しかも自分がいない方がより良い・・・と秀吉は考えていた。



評定は秀吉退場後、無言で中立態度を貫いていた織田家二番家老である丹羽長秀が口を開いた。
「御両者の意見を聴いていたが、秀吉の方が涼しげである」と長秀は、秀吉方につく発言をした。

しかし、一座の沈黙した雰囲気は変わらなかった。

出席者の多くは山崎の合戦に参加した家臣が多かったが、これから起こるであろう「秀吉と勝家の合戦」と「山崎での戦功」を天秤にかけると、百戦錬磨の勝家に組した方が、有利という心理が働いていた。
次第に、織田家臣たちは、秀吉よりも勝家に組みする方が有益だと考え出すようになった。

それでも長秀は「秀吉は遠き備中より、上様の不幸を聞くや、危険をも顧みずに大返しにて山崎で光秀を討った。それにひきかえ、勝家殿は悠々と軍を進めたゆえ戦機を逃したのである。ここは秀吉の功を褒め、跡目はかの者の言葉を聞いてやりなさい。そのような大度を示してこそ、筆頭家老というものであろう」と言い放ったが、一座の大半は勝家に賛同することとなった。

織田家の後継者は勝家が推す信孝に決まった。

「威信」-100

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