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秀政に命じる


秀吉は、「堀秀政殿を御呼びせよ」と、伝令をかけた。
「秀政殿には御苦労でござるが、近江坂本に攻め込んでいただきたい」と堀秀政を坂本城攻略の総大将に命じた。
これから迎える信長の後継者争いにおいて、故信長の近習で寵臣であった堀秀政を、味方に取込んでおく必要があった。
そのためには秀政に大功を立てさせ、秀政の地位を上げておくことが肝心である。

一方この頃、近江坂本城に向けて退却中の光秀一行は、桂川を渡り伏見を通り、大亀谷を過ぎて山科の小栗栖に入っていた。
しかし、竹薮の山道を通過中に突然、藪に潜み「落ち武者狩り」をしていた農民たちに襲われた。
光秀は彼らの竹槍に脇腹を刺され、深手を負い、その場で自刃し果てた。
光秀享年55歳、本能寺で信長を襲撃したわずか11日後のことであった。

6月14日早朝、明智軍の一部の軍勢が籠もっていた勝竜寺城は落城した。
勝龍寺城に入った中川清秀、高山右近、池田恒興らの諸将は、かがり火を大いに焚かせ、秀吉の到着を待っていた。
先に織田信孝と丹羽長秀が到着すると、待ち受ける諸将に丁寧な会釈と労いを述べていた。
その後、駕籠に乗った秀吉は勝龍寺城に入城して来たが、諸将に対してあえて何の挨拶もしなかった。
癪に障った中川清秀は、咳払いを一つしたが、それに気づいた秀吉は「瀬兵衛(清秀)、骨折り」と一言声をかけて通り過ぎた。
この秀吉の大きな態度に、元来短気な性格であった清秀は「猿め、はや天下を取った気でおるわ」と大声で言い返した。

「威信」+10

さて、秀吉はこの清秀の言動にどうするか?
駕籠を降り、丁寧に労いを述べる
聞こえぬふりをして通り過ぎる
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